奇跡の国 ルワンダ訪問・旅行記 その2 キガリ編② ルワンダ虐殺記念館とか



前回記事はこちら↓

奇跡の国 ルワンダ訪問・旅行記 その1 キガリ編①

 

2日目、ホテル(グロリアホテル、$70くらい、立地良し)の朝食。

タンザニア同様、ルワンダの料理は、種類こそ豊富では無いものの、優しい味でとても食べやすいです。
写真は、かぼちゃの煮たもの、豆の煮物、鶏肉のトマトソース煮、野菜のソテーです。特に野菜(ほうれん草メイン)のソテーはハマる美味しさ!
そしてパッションフルーツのジュース。贅沢!

 

この日は朝からKigali Genocide Memorial (キガリ虐殺記念館)を目指しました。

移動はタクシー、ではなく、「モト」と呼ばれるバイクタクシーを使います。
タクシーは流しのはなかなか見当たらない…。

モトはこんな感じ。カラフルな上着を着ています。

歩いていると、いちいちクラクションで気を引こうとしてきます。
手を上げると近くまできてくれます。
乗る前に、行き先と料金の確認。
モトのドライバーは客用のヘルメットを持っていて、それをかぶって出発。

人生初、バイク2ケツ。

ルワンダは全体として運転マナーはとても良かったですが、かなりのドキドキ感。

尚、15分くらいのドライブなら、RWF1,000(130円)もしないです。

相場をあまり知らない時に、適当にRWF2,000とか3,000とか適当に渡していたら

ドライバーに「God bless you」といわれました。

自らカモになりにいく男、まつだ。
(後々ルワンダを訪れる皆さまが不利益を被ったら、ごめんなさい。)

 

着きました。

記念館の見学は無料ですが、中の展示品を撮影するのは有料となります。

 

※ここから長いので、興味ない方は読み飛ばしてください。

ルワンダの虐殺は、1994年4月と、わずか20年前の出来事です。

ことの発端は、宗主国のベルギーが、ルワンダ国民を18の部族に区別したことによります。1932年には、それぞれにIDカードを支給し、部族名が記されました。
割合としては、フツ族が84%、ツチ族が15%と、ほとんどがこの2つの部族とみなされたそうです。

ベルギー人の判断により、ツチ族はより聡明とされ、優遇されました。
政府の構成メンバーをツチに独占させた他、教育や、家畜の数など、様々な点で優遇されたそうです。

一方で、宗主国から持ち込まれたものもありました。
キリスト教や、コーヒーです。
これらは現在のルワンダにも深く根付いています。

しかし、第二次大戦後の世界的な独立機運の高まりにより、フツ族の独立運動も高まってきました。

1959年、当時の国王(ツチ系)がベルギーのワクチン接種後に謎の死をとげ、ツチ族とベルギーの関係が悪化しました。

また、同年、フツ族の指導者がツチ族に襲撃されたことを受け、フツの逆襲が起こりました。

これをきっかけに、ベルギーは当局、教会(司祭!)含め、一転、フツ側の支援に回り、フツ族によるツチ族への弾圧が始まりました。
以後、30年間で数万人が殺害されたほか、70万人ほどが国外(ブルンジ等)へ追放されたとのことです。
(一方で、ツチ族がフツ族を虐殺した事件もあったそうな)

1980年代には、主要収入減であったコーヒーの値崩れと、人口の増加により、飢饉となり、より治安が悪化しました。

1990年代には、フツ族は武力組織を立ち上げ、フランスやベルギーから$12milもの武器を調達しました。新聞やテレビで、プロパガンダ広告を発信し、ツチ族が戦争を計画しているなどとの情報を流しました。

そして1994年4月、ルワンダの大統領が暗殺されたことをきっかけに、100日間にも及ぶ虐殺が始まりました。

記念館の資料では、80万人もの人々が殺されたそうです。

銃や、クワ、剣など、武器は様々でした。

女性は「武器=家族を崩壊させるきっかけ」として強姦されました。

国外への亡命、難民は200万人にものぼりました。

その時生き伸びた子供の80%は、何らかの家族を殺されました。

インタビュー動画で、ある人は、今でも隣人や友人が信じられないと言いました。

ある人は、自分の国が恥ずかしいと言いました。

子供の写真が資料として残っていました。

好きな食べ物 フルーツ、性格 明るい、死因 銃による撲殺。

 

絶句。

 

他国の虐殺の展示もあったけど、もー無理。
うげ、今度はナミビアかよ。ドイツかよ。

マジで欧州ってクソやな。(記念館視点)

 

皮肉ながら、不謹慎ながら、「ルワンダの奇跡」の一因は、この虐殺にあったように思えてなりません。

自らの行いを反省し、もしくは他人の行いを許し、それでも尚、這い上がってきたからこその、今。いや、マジで凄いよ、あなた方。

ちなみに、ルワンダ人の中には、日本の第二次大戦の歴史から、シンパシーを抱く人もいるそうです。

 

その凄惨な内容の一方で、併設された墓地は平和そのものでした。

死者のリスト

この台がお墓。花が手向けられています。

鳥がいたるところに。



俺至上 最長のアリの行列。どこへ向かおうというのか。

 

その足で、DMM.HeHeの事務所を訪問してみました!

住所はこのKigali Heights。ルワンダで最先端のビルです。
オフィスのほか、スーパーやアパレル、カフェなどの店舗が併設しています。

 

 

うわ、めっちゃお洒落!広い!(他に会議室もあり)

DMM.HeHeは、DMMのアフリカ事業部がルワンダのソフトウェア開発企業のHEHE LABS Ltd.を完全子会社化し、生まれた企業とのことです。

DMM所属のタンザニア人の代表取締役(日本語ペラペラ!)がいて、石本さん、一宮さん日本人2人と、ルワンダ人スタッフ数十名が働いています。

参考までにプレスリリースを。
https://dmm-corp.com/press/press-release/7536

このオフィスからも、本気度が伝わってきますね。
(まだまだパワーアップするらしい)

どうやら弊社もお邪魔したとか。
(何しに来たんだ)

 

ルワンダは農業が主で、資源はあまりないし、これといった製造業もなさそう…。

と、いうことで、初期投資が比較的安く、頑張れば海外にも直売でき、買い叩かれないITビジネスは、ルワンダの花形産業なのかもしれないですね。

ただ、まだエリートにのみ開かれた狭き門、という印象。
(基礎教育、PC購入資金、専門知識と、超えるべきハードルは多い。)
これからに期待ですな。

 

夜、ホテルで食べてたら、ボーイさんと仲良くなりました。

学生しつつ、歌手を目指しているのだとか。

と、いうことで、ジャケ写の撮影を依頼されました。
(本人はいたって真面目です。仕事中です。)

本当は明るい昼間が良いのだけど、頑張りましょ。

まつだ的最高傑作。

エマヌエル君的最高傑作。

どうやらルワンダ人とは美意識が違うらしい。

エマヌエル君は、肌は黒ではなくて、茶色にこだわっておりました。
昼間撮れれば良かったね。すまんね。
CD出したら一報くれよ。

 

続く。

奇跡の国 ルワンダ訪問・旅行記 その3 Starbucks Coffee Rwanda Labo (スターバックスラボ)

 




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