読書レビュー『コーヒーはぼくの杖~発達障害の少年が家族と見つけた大切なもの 』岩野 響 著



Kindle Unlimited 読書レビューシリーズ(笑) 第一回。

『コーヒーはぼくの杖~発達障害の少年が家族と見つけた大切なもの 』岩野 響 著

 

概要

発表当時 若干15歳であったコーヒー焙煎士、岩野響さんと、そのご両親の書いたエッセイです。

発達障害の一つ、アスペルガー症候群と診断され、中学校も退学した響さんが、コーヒーに出会い、表現する手段(乃至は生活の糧)を見出していくまでを描いています。

構成として、響さん、お父さん、お母さんが、一つの事柄・イベントに対して、それぞれの視点から語っているのが、面白いと思いました。

 

感想

一つの文章でまとめて述べるのが良いのでしょうが、まつだにその能力が無いので(汗)、いくつかの要素に分けて述べようと思います。

アスペルガー症候群

まつだはアスペルガー症候群について知見がなかったので、本人が味わっている感覚や、医師の解説などが分かりやすく書かれていて、勉強になりました。

アスペルガー症候群とは、知的能力の発達の遅れということではなく、次のようなことのようです。

1. 外からインプットされたことの解釈(捉え方)が普通と違う。
2. 1点への集中が過剰すぎて、他のことへ気を配れない。
3. 頭ではわかっていても、上手くアウトプットができない。
4. 人の感情や空気が読めない。でも言うと分かる。

つまり、適当に”物事を進められない、ということなのかなと理解しました。

例えば、食器の洗い物のエピソードがありましたが、響さんは、洗剤一本使って何時間もかけて念入りに洗うのだそうです。でも、「洗剤一本使ったという自覚」は無いらしい。お皿を綺麗にするという一点に集中しすぎたのかも。

ていねいに、ていねいに。ひとつひとつのうつわに集中する。くもりのないグラスは、とても美しいものだ。徹底的に磨きをかけていく。ガラスに新たな命を吹き込むのだ。光に透かしてみる。まだだめだ。こんなものでは足りない。かつては玻璃と呼びあらわされ、シルクロードを越え、海を渡ってわが国にやってきた際には、その高貴な輝きと透明感でひとびとを驚かせ、唯一無二の宝物として珍重され、崇められた。ペルシア伝来のそのガラス器は、いま、シルクロードの終着点とも呼ばれる奈良県・正倉院に収められている。光に透かしてみる。よし、ようやく納得のいく煌きを与えることができたようだ。ただの土塊が、人の手によって形を与えられ、釜の火に命を吹き込まれて、役に立つ道具となり、ぼくたちの前にふたたび姿をあらわす。土がうつわに変化するはるかな旅路は、わたしたちの生きる星、地球の悠久なる営みにも似て、

 

うーん、そりゃ、終わらんわな!

上述はもしかしたら本の表現上、極端に書いたのかも知れませんが、このように、適当に作業できないという特性があるようです。見方を変えれば才能ですけど。

そして厄介?なことに、本人は大真面目に正しいことをしていると思いつつも、それが評価されていないという自覚があるらしく、それはとても苦しいことだなと思いました。(とはいえ、その自覚が無くなるのはもっと寂しいですね。)

その特性、そして評価してもらいたい、人に貢献したいという渇望こそが、コーヒー焙煎への才能を開花させるに至ったのでしょう。

最近は「何かが足りない」人が成功するということが、本やネットでも特にハイライトされているようです。
学歴、お金、健康、友達…そういったものを持ち合わせていない人でも、というより、こそが、何かを始めて注目される時代になっている気がします。

 

ご両親

もしかしたらこの両親のもとで無かったら、響さんの才能は開花しなかったかも知れません。

響さんは下手に?一部の物事はしっかりこなせる為、逆に何かを満足にできなかった際、本当は障害が引き起こしたことでも、ご両親の教育・しつけのせいと見なされてしまうことがあったそうです。
ご両親も、自身でその批判を受け入れてしまうこともありつつ、逆に響さんの退学後 100%自分で育てる過程で色々思い知らされつつ、色々試す中で、最終的にコーヒー焙煎という“杖”を見つけてあげることができた。この結果は誰にでも出せることではないと思います。

思うに、ご両親の次の姿勢が、この結果を生んだのです。
 1) 障害から生まれる結果を誰のせいにもせず、理解することに努めたこと。そして上手くハマる先を探し続けたこと。
 2) 障害から生まれる結果への理解を、他人に求めなかったこと。(求めて叶わないと、そのストレスが自身や響さんに跳ね返ってくる)

 

響さんのコーヒー

前にも書いたとおり、彼のコーヒーの価格設定には納得いきません(笑)が、彼の語るコーヒーについての表現は、至極共感するところがあります。

焙煎について言うなら、ぼくは深煎りのコーヒーが好きだ。「深煎り」と聞くと、多くの人は「苦くて焦げくさい感じ」を思い浮かべるにちがいない。
だけど、焙煎を繰り返すうちに、酸味が消えて苦味が出始める瞬間の「交じり合う一点」が存在することに気がついた。焙煎をそこでぴたりと止めることができたとき、酸味が消え、霞んだような丸い丸みが出る。[…] ぼくの焙煎は、酸味と苦味が「交じり合う一点」を目指している。今のぼくは、その霞んだ丸い美味しさの先にコーヒーの個性をひらめかせることこそが、焙煎という仕事だと考えている。

ぼくが知っているのは「苦味」と「酸味」というふたつの波が合わさると、すっ、と波が消えて、穏やかな場所が出てくる、ということだ。ぼくはその穏やかさがとても好きだ。

 

くーっ、なんという良い表現なんだ!

将来 丸パクリしたい気分ですわ!

コーヒーの「甘み」という言葉は良く使われていますが、自分は「丸み」が正しいと思っていますし、そこを目指して焙煎しているので、響さんの上の表現はドストライクです。

これは一度、買って飲んでみないといけませんな。(価格に文句言う前に)

 

こんな方におススメ

育児をされている方には、障害の有無関係なく、とても参考になるのでは?と思います。(まつだは子供いませんけど。汗)

逆にこれはコーヒーに関する本ではありませんが(コーヒーはあくまで”杖”なので)、響さんのコーヒーにかける想いは、共感できる方も多いのではないでしょうか!

 




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